オンライン英会話の英語講師の中に、

南アフリカ共和国出身の講師を見ることがあります。

しかも、英語のネイティブ講師として活躍しているのです。

この点に注目して、以前「アフリカの国々の英語のネイティブとは

と題してブログを書きました。

このブログに興味も持ってくださった方が予想以上に多かったのは、

うれしい驚きでした。

そこで今回は南アフリカ共和国に絞って、

現在でもなぜイギリスのネイティブ英語を話す人々が住んでいるのかを、

歴史的な視点からまとめてみました。

 

事の発端は精密な時計による航海術だった

ヨーロッパでは、中国から伝えられた羅針盤をもとに、

15世紀には大航海時代を迎えていました。

ところが世界の海を航海しようと思うと、

緯度は星や太陽の位置から確認できたのですが、

経度が正確に分からないために大海原を航海することが、

とても難しかったのが実情でした。

それを克服したのが、

イギリスのジョン・ハリソンが1700年代に発明開発したクロノメーター

(精度の高い機械式時計)でした。

 

この発明の経緯については、

当ブログの「航海技術がもたらしたネイティブの世界」を

ご覧になっていただければと思います。

 

イギリスが世界の大海原を自由に航海できるようになった事により、

世界に大きな影響を与える事になったのです。

もちろん、アフリカの南の先端にある喜望峰(ケープタウン)へも

航海できるようになりました。

 

金やダイヤモンドを目指しての入植

日本からは距離的に遠い国ではありますが、南アフリカ共和国と聞いて、

金やダイヤモンドの産出国と学校で習ったのを思い出す方も多いでしょう。

そして最近ではスパーマーケットで、

南アフリカ共和国産のワインを見かける事も多くなりましたね。

そのような南アフリカ共和国ですが、

かつて大海原を航海できるようになったイギリス人が目指したのは、

産出される金とダイヤモンドでした。

最初にヨーロッパの国々の中で、

南アフリカ共和国の南端地に入植したのはオランダ人です。

ヨーロッパとインドをつなぐビジネス海路の中継基地としたのです。

ところがナポレオン戦争が始まるとオランダは撤退し、

オランダ東インド会社が設立したケープ植民地(現在のケープタウン一帯の地域)が、

1814年に初めてイギリス領となったのです。

公用語は英語と定められ、

1820年には最初のイギリス人移住者が、ケープ植民地に到着しています。

その後、社会的にも影響力のあるイギリス人が次々に移住し、

イギリス本国の学校の教師を呼び寄せて、子供達への教育を行なわせました。

この点が極めて重要で、現在に至る南アフリカ共和国の英語や文化の継承に、

大きな影響を及ぼしています。

イギリスのネイティブ英語が引き継がれ、

なまりの無いきれいな英語を話す人々が、

今も南アフリカ共和国の中枢を担っています。

南アフリカ共和国は多くの部族の集まりで、

各々が独自の言語を持っているのですが、

共通のコミュニケーション手段は英語です。

英語が生活に直結していることや子供の頃から英語に触れている為、

聞き取りやすい英語と言われています。

 

それは、1994年に発足したマンデラ政権の政策である教育の充実が、

成果を挙げてきている証でもあるでしょう。

かつては黒人が8割、白人が1割、混血やアジア系1割の人口構成の中で、

義務教育を受けることができたのは白人だけだったのです。

それをマンデラ政権では、全国民が義務教育を受ける事ができるようにしました。

もちろん英語教育も小学校から受けることができます。

全国民が英語により、コミュニケーションを取りやすくなってきているのは、

間違いないと思います。

そして、南アフリカ共和国の中で英語の担う役割は、

益々大きくなってきているのです。

 

最後に

南アフリカ共和国について書いてきた私も、

何度か南アフリカ共和国出身のネイティブ講師から、

オンライン英会話でレッスンを受けたことがあります。

白人の女性講師でした。あまり物事にこだわらない、のんびりとした講師でした。

オンライン英会話で南アフリカ共和国のネイティブ講師がいたら、

歴史などの話を交えて、レッスンを受けてみる事をぜひおすすめします。


英会話 ブログランキングへ